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展覧会について

 皆さんの中にはこの展示を見て、不思議に思ったり、がっかりした人もあったことでしょう。画廊に来て何故、ストーブにあたり火を見て、お茶を飲んでいるのだろう?一体どこが会議なんだろう?絵もなければ彫刻もない、額に入っているのは毛糸帽子。  この展覧会では、美術を知らない人たちに案外すんなりと受け入れられて、美術愛好家には嫌がられたようです。またこの作家の作品の愛好者達は作品の傾向が大きく変わってしまったと考え、失望したようです。しかしこの作品も今までの延長線上にあるのです。では一体この展覧会「アランの毛糸帽子会議」、では何を作りたかったのでしょうか?
 まずはじめに、作者は世界の最も西にある国、アイルランドのさらに西の端に位置する、アラン諸島の一つイニシュマ−ン島に行き、そこで素晴らしい経験をします。このことを誰かに伝えたいと思った彼は、そこで運良く帽子を手に入れます。彼はこの帽子を自分の素晴らしい経験を伝える贈り物と考え、友人や後輩、師匠などに手紙とともにすぐさま送り、会議を開こうと伝えました。それから彼はこの素晴らしい経験をどうやって表わそうかと考えました。絵にしても彫刻にしても、同じような場所を作るにしても、やはりそれはあの素晴らしい経験とは違うものになってしまいます。
 「もし自分がアラン島の経験を作品にすることが出来てもそれは自分だけのものでしかない。自分は作品を作る前に存在するものを創りたい。」今まで作品というのは、作り手が自分の考えを表わすために作ってきました。しかし彼は「すべての人が作品を作るために必要なものを作れないだろうか。それはアラン島の自分の経験そのものを、そのまま東京のビジネス街のなかで作ることだ。」と考えます。
 作品でなく作品を作るきっかけになるものを作ろうとしたのです。「あのアラン島で見た虹のたもとと同じ意味を持つものが出来れば、それはあの虹を作ることと同じことになる。」
 こうして思いついたのがビジネス街で生の「火」を見せることでした。その画廊のあるビジネス街では多くのビジネスマンが通ってゆきます。ギャラリーは通りに面したガラス張りの構造なのでどうしても火に目がいってしまいます。しかし彼等は仕事を理由に入ることが出来ません。そして「あれはいったいなんだ。」と思いながら通り過ぎてゆき、帰宅後、奥さんに「今日、銀座で火を見たんだ。」と話すと奥さんは相手にしてくれません。
 「いや、でも見たんだ。」と彼はつぶやき再び日常へ戻ってゆきます。そうしてしばらくたった後、彼は頭の片隅にあったあの火のことを思い出します。
 その時に彼が一緒に思い出すもの、それが彼にとっての「作品」を創る原点、つまりはその人にとっての生きる力になるもの、なのです。作者はそれを創ろうと考えました。
 展覧会に来た人はただ何となく火にあたりお茶を飲み、無為の時を過ごします。その時間がその人にとっての最も大事なものを思い出す、きっかけとなるのです。もしあなたがいわゆる美術作品を求めているならば残念ながらそこには確かなものはありません。せいぜい「いい毛糸帽子ですね。」とか「きれいな本だなあ。」で、その五分後にはすっかり忘れてしまうことでしょう。まずは火にあたり、その暖かみを感じなければ何もうまれないのです。
 では作者の考える「人が物を創る原点」とはなんなのでしょうか?
 多くの人は他の人にはない強い経験をすることだ、と考えるかも知れませんが実はそれはささいなことなのです。日々の積み重ねのなかでなぜか残ったもの、その人が残そうと思ってもいなかったこと、遊園地や旅行など意図して作られた経験でなく、つまらないものの中から生まれたものが人を動かすのです。それゆえに殆ど思い出すことが出来ないわけです。旅行が人に影響をおよぼすのは、旅行そのものではなくその経験によって忘れていたものを思い出しているのです。
作者はビジネス街で火をたきながら、その人が来るのを待っています。見知らぬ人たちが同じ火を囲み、なんてことはない話をする場所、でも誰も、ここで会うことは考えてもなかったことでしょう。人と人の出会いというのは実は果てしなく広がってゆくものなのです。そんなことも知らず、自分の作品を作る原点を思い出す予感もなく、人々はただ「火」に暖まったり、ぼんやりと見過ごしてゆくわけです。